ソマリアの海賊
ソマリアの海賊問題についてご説明します。
ソマリア海賊問題は、ソマリア周辺海域で発生して国際海運の障害となっている海賊のことで、1990年代はじめにソマリア内戦が始まった頃から目立つようになりました。最近活動が活発化して、地中海とインド洋を往来する年間約2万隻の商船に対して脅威となっています。
海賊たちはもともと漁業に従事していた漁民が多く、モハメド・シアド・バーレ政権時代には欧州や日本がソマリアの漁船や漁港の整備に対して援助を行っていました。ソマリアの漁獲は魚を食べる習慣のあまりないソマリア国内向けではなく海外へ輸出と回し外貨獲得の手段としていたのですが、1991年のバーレ政権崩壊後は内戦と機能しない暫定政府のために魚の輸出が難しくなりました。さらにソマリア近海に外国船、特に欧州の船団が侵入して魚の乱獲を行ったために、漁民の生活は一層困窮していきました。1990年代になると軍部と欧米の企業が締結した「沿岸に産業廃棄物の投棄を認める」という条約に基づき、産廃が投棄されるようになり、そのなかに処理をするのが難しいといわれる放射性物質を多量に含んでいたために、漁師を中心に数万人が発病。地域住民の生活を支えていた漁業もできなくなってしまいました。
この結果、困窮した漁民が武装して漁場を防衛するようになり、一部が海賊に走ってそれが拡大したものとされています。しかし高速船を使用したり、武装の程度や訓練状況に見られる海賊の状況は漁民の困窮からはほど遠いものであるために、海賊達が外国メディアにインタビューを受ける際に、自らを生活に困窮した元漁民と称して同情を集め自らの行為を正当化した組織的な宣伝で、最初から武装集団が海賊を始めたという意見もあります。この見解によれば彼らはもともとはイギリスの民間軍事会社ハートセキュリティ社が指導を行い創設された私設海上警備隊で、アフガニスタンから流入する麻薬や小火器をパキスタンカラチ港からインド洋・ソマリアを通り他のアフリカ諸国などに対して密輸していてこの組織がやがて海賊化した経緯があるそうです。
2007年以降海賊行為の成功率の高さと身代金の高額さにに目をつけ、組織的に海賊行為を行うようになっているようで地方軍閥までが海賊行為に参入し海賊たちから利益を吸収しているといわれています。
ソマリアの海賊たちには政治的動機や宗教的動機は見受けられず、物資押収や殺戮ではなく人質の属する船会社などから身代金を取ることが主な目的のようです。海賊たちは人質に銃を突き付けるなどの荒々しい行為を行うこともあるが、金銭と交換可能な取引材料である人質に対しての暴力や虐待などはおこないません。海賊は、現在のところ人質に食事を与え命の保証しており、たばこや酒などの嗜好品も与えています。2008年4月にフランス軍が制圧した海賊のヨットからは人質に対する虐待や強姦を禁じる「規則書」が発見されています。