ソマリアの歴史
ソマリアの歴史について簡単にご説明します
1887年、アラビア半島のアデンをインド航路の中継地にしたイギリスが北部を保護領とし、1908年に南部をイタリアが保護領としました。
1898年から21年間、サイイド・ムハンマドの指導の元、抵抗運動が続いていきます。
1960年6月に北部のイギリス領ソマリランドが独立。同年7月に南部のイタリア信託統治領ソマリランドが独立し、合併してソマリア共和国となりました。それ以後他国の領土を奪おうとして、しばしば軍事衝突が起こっています。
69年、シェルマルケ大統領が暗殺されました。そのクーデターで最高革命評議会が政権を握りましたが、77~78年のエチオピアとのオガデンをめぐる紛争で敗北しました。そのときにソ連との友好条約を破棄し、アメリカに近づき、84年軍事条約を締結しました。
89年7月、首都で暴動が発生。
91年1月、統一ソマリア会議が首都を制圧して、アリ・マハディ・モハメッドが暫定大統領に就任しました。
6月、北部は「ソマリランド共和国」として、独立を宣言しましたが、その後モハメッド派とアイディード将軍派に分裂して内戦が激しくなっていきます。
92年12月、国連はアメリカ軍主体の多国籍軍を派遣します。
93年5月、武力行使を認めた平和執行部隊、第2次国連ソマリア活動を展開します。
94年3月、紛争当事者の間で和平合意が成立しましたが、戦闘はとまりませんでした。
95年3月、第2次国連ソマリア活動完全撤退します。
95年3月、アディード将軍とたアリ・アトが分裂しました。アト派とモハメッド派などが協力関係をくみ、これにアイディード将軍派が宣戦布告。
96年8月、アイディード将軍が死去し、そのあとを米国の海軍出身の息子、フセイン・アイディードが継ぎます。
97年12月、内戦終結のため、アト派とアイディード派が調印し、エジプトにてモハメッド派とアイディード派が和平基本合意文書に調印しました。
98年3月、ふたつにわかれていた首都の行政(空港、港を含む)をひとつの組織で行なうことに合意します。